いつかは都会を離れ、海や自然に囲まれた街で暮らしてみたい。そんな憧れを抱いている人って、意外と多いのではないでしょうか。
「仕事はどうすればいい?」「気の合う人はすぐに見つかるのかな?」と、不安は尽きないもの。
これから始まる連載「湘南の人」では、海や自然に囲まれながら、都心から電車で1時間ほどの場所にある湘南で、暮らしを楽しむ人たちをご紹介していきます。
第1回目は、生まれ育った愛知県を離れたあと海外留学し、1年ほど前に茅ヶ崎に移住した、アーシング&ライフコーチの坂井田恵利さん(以下、恵利さん)に話を伺います。
恵利さんの移住のきっかけ、仕事やライフスタイルの変化について、3話にわたって詳しく伺っていきます。
27歳で一度人生をリセットし、ハワイへ
恵利さんが生まれ育ったのは、愛知県。新卒で入った会社では、美容関連の仕事に就いて6年ほど勤務していました。けれど6.7年ほど勤めた27歳のとき、ふと「このままでいいのか」という疑問が頭をよぎったのだそう。
恵利さん:
「もうやりきったな、という感覚がふと芽生えたんです。当時の仕事をずっとしているイメージも湧かなかった。一度人生をリセットし、次のステップに進まなきゃと思い立ちました」
普通は“人生のリセット”といえば、転職をして新たな仕事に就いてモチベーションを上げたり、気分転換になるほどの身近な距離で引越しをしたりすることが多いでしょう。でも恵利さんは違いました。突然、ハワイへの移住を決意したのです。
恵利さん:
「中学生のころからずっと、いつかは海外で働いてみたいと思っていたんです。そこでハワイへ一人旅をすることに。せっかく行くなら何か目的を持ちたいと思った時に目に留まったのが“ヨガ留学”という選択肢でした。これだ!と直感し、3か月ほどハワイで一人旅。そのまま運よく仕事を見つけられたので、ハワイに残って働き始めたんです」
ハワイでの暮らしから自由な生き方や働き方を学び、自分スタイルを見つけていった
ハワイでの暮らしは、恵利さんの人生を180度大きく変えました。
美しい自然に囲まれ、自由な生き方をしている人との出会い。働き方も、日本との大きなギャップを感じたのだそう。
今日一日に感謝をしながら行う、ハワイでのヨガ
恵利さん:
「海外で働いてみて『枠にとらわれずに働くこと』を教えてもらいました。それが今の私の考え方、生き方にかなり影響していると思います。
若いころ日本では年功序列、先輩に気を遣う、目上の人をたてる、指示をもらってから仕事をするなど、たくさんのレールに自分を当てはめて働いていました。
でも海外では上司のことは呼び捨てだし、やりたいことは自分から積極的にやっていくし、やりたくないことはやりたくないと言っていいんです。初めは慣れずに戸惑いました。でも徐々に『自分のスタイルを持つこと』の大切さについて学んだり、『本当の私らしさとは何だろう』と考えるようになっていったんです」
それまで恵利さんを包み込んでいた殻を少しずつ破り、本来の自分を思い切り外に出して、ありのままの姿でいられるようになった恵利さん。一度ハワイを離れた後、今度はオーストラリアへ移住。そして新型コロナの関係で帰国を余儀なくされました。
日本で住む場所を選ぶときに重視したのは、海がそばにある地域であること。海外で海に囲まれた場所で過ごすうちに、ヨガやサーフィンと出会い、日本でも同じような生活ができる場所で暮らしたいと考えたのです。そのため地元の名古屋ではなく、湘南エリアに住むことを決意します。
恵利さん:
「もともとは海があまり好きではなかったんですよ。汚れるし、汚いし、日焼けしたくないし……。でもハワイで暮らすうちに、ヨガやサーフィンなどを通じて海が大好きになったんです。これからの人生、一生海と離れないようにしようって決めたんですよね」
海があるだけじゃない。茅ヶ崎の「人」や、「街」のおおらかな雰囲気に惹かれた
コロナ禍での部屋探しは予想以上に大変だったのだそう。たまたま茅ヶ崎にある海沿いのシェアハウスに空きが出たことを友人のつてで知り、1週間後には茅ヶ崎に来ていたというから、恵利さんの行動力には驚かされるばかり。
恵利さん:
「たまたま空室があった偶然の出会いで、湘南エリアのなかでも茅ヶ崎に来ることが決まったのですが、思いのほか茅ヶ崎が自分にすごく合っていたんです。
もう、びっくるするくらいみんな自由(笑)。時間にもルーズだし、みんなゆるいんです。仕事はしたいときにする、休みたいときは休む、サーフィンしたいときはする。そんな暮らし方をしている人が多いです。
引越し当日、タクシーに乗ったんですが運転手のおじさんに『いいところ引っ越してきたね~!』って言ってもらえてすごくうれしかったことを覚えています。なんていうのか、わたしが過ごしてきた海外と似ていたんですよね。みんなハッピーであれ、という感覚が」
恵利さんが心の中に思い描いていた、「ずっと海と共に生きていく」という想い。日本へ帰国することは本意ではなかったにせよ、茅ヶ崎という街に出会ったのはなんだか自然の流れだったような気もします。
しかし当時恵利さんは無職。まったく当てもなく茅ヶ崎に降り立っていました。
第2話では恵利さんが茅ヶ崎で、自分の仕事を少しずつつくっていった様子について伺います。
>第2話(8月30日公開予定)
「ご縁がつながり仕事が生まれる。茅ヶ崎で実現した「フリーランス」という働き方」
text by Asako sakurai
Instagram:https://www.instagram.com/elly808yoga/?hl=ja